【海外旅行】一人旅(バックパッカー)向けの世界の歩き方

日本にいるだけじゃ勿体無い!!『100日間バックパッカー世界周遊』で『旅の楽しさ×旅の知識』を共有します。

印象派(印象主義)とは?!西洋美術について分かりやすく解説!

ルノワールの絵画『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』



どうもゾノです!



本日は西洋美術における19世紀美術のなかで印象派について理解を深めていただける内容になっています!!



こんな方におすすめ!

  • 印象派の主要作品が知りたい!!



印象派は日本人に最も人気のジャンルですが、「どうやって印象派の絵画は誕生し世間に浸透したのか」を中心に様々なエピソードを交えて時代背景が分かるように紹介します!



美術の教科書のように難しい内容ではなく、知識として楽しく理解できるように記事を書いたので、最後まで読んでいただけると幸いです!!




印象派印象主義)とは?!



印象派とは?!

印象派とは、19世紀後半にフランスで誕生した芸術活動であり、芸術アカデミーの主流であった新古典主義に反して、独自の展覧会を開催するなど新しい芸術の在り方を探求したグループの1つです。



多くの文献でこのように説明されてますが、漠然としていて、意味がよく分からないかと思うので、これより紐解きます!



16世紀のフランス芸術界では、ルイ14世のもとで国の教育機関として設立された「王立絵画彫刻アカデミー」が覇権を握っていました。そして19世紀においても、名称が「芸術アカデミー」と変わりましたが、依然としてフランス芸術界を支配しており、定期的にアカデミーが開催したサロン(サロン・ド・パリ)で入選を果たすことが若手画家にとって大きな目標でした。



ですが!?



印象派の画家たちはアカデミーの規範とする芸術様式ではなく、これまでと違う、新たな絵画技法で制作活動を続けます。その為、当然ながらサロンに作品を出展しても大半が「落選」の憂き目にあいます。



芸術アカデミーから評価されないとサロンで入選を果たすことが困難であり、一般市民にも自分たちの作品を披露できません。サロンで高い評価を得られないと芸術家として成功を収めることができない為、不満の募った印象派のグループは「大変革」として、独自の展覧会を開催し、自分たちの作品を世間に浸透させることに挑みました。



印象派の絵画は「今」でこそ世界的に人気を博していますが、当時はサロンだけでなく批評家からも酷いくらい叩かれています。それでも自分たちの絵画技法は間違ってない!と信念を貫いているあたり、印象派はアカデミー絵画のルールを無視した「尖ったグループ」であったと言えます!!




印象派が誕生した背景とは?!



印象派の誕生は西洋美術史において大変革をもたらしました。



印象派は急に誕生したわけではなく、フランス革命やフランス王政への反発、そしてイギリスで始まった産業革命など時代の変革も重要な要因ですが、人物に関しては、特に3人の画家から大きな影響を受けています。



その3人の画家の与えた影響について、これより簡単に紹介します!




世間に大スキャンダルを巻き起こした印象派の先駆者:マネ

写真家ナダールによるマネの肖像写真



エドゥアール・マネ(1832-1883年)写実主義を代表するフランスの画家であり、印象派の先駆者とされる人物。マネという名前はおそらく一度は聞いたことがあるかと思います。



写真から少し堅物そうに見えるかもしれませんが、

まさしく、その通りです!!笑



当時の皇帝であったナポレオン3世は、サロンで落選となった画家による不満の高まりを抑えるために、サロンとは別に落選展を開催しますが、マネはこの展覧会に『草上の昼食』を出展し、大スキャンダルを巻き起こします!



マネの絵画『草上の昼食』
マネ『草上の昼食』



一見すると普通の絵画に見えるかもしれませんが、時代は19世紀。これまで女性の裸体を描く際は神話や歴史的な出来事のみに限定されてましたが、本作では実在する裸の女性が描かれています。また男性は服を着て女性の側には着衣が置かれていることから「売春婦」を描いているとして、多くの批判にさらされます。



そして翌年にはオランピア(1863)』を出展しますが、批判に晒された状況でもなお、売春婦の裸婦画を出展しています!(やばすぎる。。)


マネの絵画『オランピア(1863)』
マネ『オランピア(1863)』



オランピアとは「パリの娼婦」の通称で、こちらの女性は実在する女性を描いていることが明白であり、再びスキャンダルとなります。



2つの作品はマネの代表作として知られていますが、アカデミック絵画と相反することから当時の批評家からは酷評。しかし、新たな絵画の在り方について模索していた画家にとっては、「前衛的」として前向きに捉えられ、モネやセザンヌ、そしてピカソもオマージュ作品を制作したほど近代絵画以降の西洋美術に多大な影響を与えました。



ちなみに!



オランピアで描かれた女性は、少し平面的でリアル感がなく、また裸の女性と黒人女性は位置関係が離れているにも関わらず同じサイズで描かれてますが、下手に描いたわけでなく当然ながらワザとであり、日本の浮世絵などジャポニズムの影響を受けているとされています。他の印象派の画家だけでなく多くの芸術家が日本の浮世絵に衝撃を受けたとされており、様々な絵画作品に反映されています。




画家として初の個展を開催した偏屈者:クールベ

クールベの絵画『絶望(自画像)』



ギュスターヴ・クールベ(1819-1877年)は一般的にあまり馴染みがないと思いますが、フランスの写実主義を代表する画家であり、「画家として初めて個展を開催した」人物です!



上のクールベの自画像は『絶望』というタイトルが付いてますが、見ての通り、若い頃はイケメンで少しナルシスト。そして、クールベも偏屈な性格です。



1849年に制作された『オルナンの食休み』という作品は、新古典主義の巨匠にして芸術アカデミーのボスであるドミニク・アングル(1780-1867年)、そしてロマン主義の巨匠ドラクロワ(1798-1863年の2人の大御所から絶賛されており、サロンで入選を果たすだけでなく国家が作品を買い上げるという栄誉まで獲得します。



しかし!?



フランス芸術界に認められたことで、今後の画家人生は成功が約束されたも同然ですが、クールベは芸術アカデミーの忠告を無視してアカデミック絵画を模範としない絵画の制作を続けます。。。


クールベの絵画『オルナンの埋葬』
クールベ『オルナンの埋葬』1849年

ギュスターヴ・クールベ, CC BY-SA 3.0, ウィキメディア・コモンズ経由で





生まれ故郷であるオルナンの風俗画を描いたことで高い評価を得たこともあり、同じくオルナンで執り行われた葬式の様子を歴史画として制作しましたが、大バッシングを受けます。理由は、絵画のサイズが関係しており、本作は「縦3.1m x 横6.6m」と巨大な絵画になり、このような大規模な作品は通常だと歴史画のみとされてました。クールベ自身も『オルナンの埋葬に関する歴史画』と題名に「歴史画」と付けてますが、ごく一般的な葬式の様子を、あたかも「歴史的な大事件」のように歴史画として描いたことで、これまでの常識を覆す、非常識な作品として、批評家から叩かれます。



1855年にパリで開催された万国博覧会では、クールベは過去にサロン入選者として評価を受けたこともあり、実行委員より絵画の展示を依頼されます。そして、数点の作品は展示を承諾されたのに対し、上記の『オルナンの埋葬』は当然ながら委員会から拒否。



そして!クールベが本領発揮します!!笑



実行委員、そして芸術アカデミーにとって『オルナンの埋葬』を歴史画として認められない為、パリ万博に出展できないことは仕方ないと思いますが、クールベは諦めません!



当時の常識ではまず考えられないことですが、「万博に出展できないなら自分で個展を開こう!」と考え方を変えます。そして、パトロンの資金をもとに「自分だけの作品」を展示した個展を同時期に開催することに!!



しかも、パリ万博の会場のすぐ側で!!!



芸術アカデミー主催のサロンや落選展以外に展覧会の開催は前例がなく、ましてや個展を開くという発想は前代未聞。結果として、クールベ「世界初の個展を開催した画家」として名を残しています。
※これまでに画家自身のアトリエで開催した前例はあるそうです。



クールベの常識にとらわれない行動は、後に続く印象派に大きな影響を与えており、印象派の画家が展覧会を開催するきっかけの1つとなります。




印象派誕生の影の立役者:バジー

バジールの肖像写真



フレデリック・バジー(1841-1870年)も失礼ながら、知名度の低い画家だと思いますが、印象派の誕生にかけがえのない存在であり、バジールの交友関係と資金力があったからこそ、印象派という一大グループが誕生したと言っても過言ではありません!



写真を見ての通り、めちゃめちゃ好青年で、マネやクールベと違って人情深く、人に好かれやすい性格で詳しく知るほど、みんな好きになる人物です。



いきなりですが!



ここで、印象派を代表する画家を生まれた順に紹介します!

印象派を代表する画家
カミーユピサロ(1830-1903年
エドガー・ドガ(1834-1917年)
アルフレッド・シスレー(1839-1899年)
ポール・セザンヌ(1839-1906年
クロード・モネ(1840-1926年)
ベルト・モリゾ(1841-1895年)
アルマン・ギヨマン(1841-1897)
ピエール=オーギュスト・ルノワール(1841-1919年)
フレデリック・バジール(1841-1870)
メアリー・カサット(1844-1926年)
ギュスターヴ・カイユボット(1848-1894年)
エヴァ・ゴンザレス(1849-1883年)

セザンヌゴッホと同じくポスト印象派を代表する画家でもあります。



印象派を代表する画家を羅列しましたが、ドガ、モネ、セザンヌルノワールなど、学生時代に美術の授業で習ったであろう、有名な画家たちが勢揃いしています。また、最年長のピサロは少し年齢が離れてますが、バジール含めてモネ、セザンヌルノワールは同年代。そして、印象「派」という文字通り、同じグループの所属として画家同士の交流も頻繁にありました。



そこで重要な役割を担ったのが、バジールです!



ジールは南フランスのモンペリエの名家の生まれであり、裕福な家庭で育ちます。本格的に画家を志した20代はじめに、シャルル・グレールの画塾に入門し、そこで同じ門下生であった、モネやルノワールピサロシスレーと親しくなります。また親戚の家を訪れた際には偶然、同郷でもあるセザンヌと出会うことに。セザンヌはアカデミー・シュイスと呼ばれる別の画塾に通ってましたが、親交を深めていく中で、セザンヌと同じ画塾に所属していたピサロとも交流が始まり、バジールが架け橋となって印象派の主要メンバーたちを結び付けます。



また、裸の娼婦画を描いて大スキャンダルを巻き起こしたマネは、晩年にパリのバティニョール街にアトリエを構えてました。批評家には酷評されてましたが、印象派の画家にとっては前衛的で尊敬を集めていた為、彼の側で師事を仰ぎたいという考えのもと、バジールの資金(親からの仕送り)でマネの近くにアトリエを借り、仲間同士で絵画制作のできる場所を提供しています。またマネから絵画技法を学び、画家として切磋琢磨しただけでなく、周辺にあったカフェ・ゲルボワではドガと出会うことになり、これからの芸術の在り方について議論するなど、次第に印象派のグループが形成されていくことになります。



さらに!?



ジールはアトリエを無料で提供するだけでなく、生活の貧しいモネやルノワールのサロンで落選した作品を自費で購入するなど、生活面でも支援しています!!



このように、バジールによる運命もしくは、奇跡とも呼べるほどの出会い、そして金銭的な支えがあったことが、印象派の誕生に大きな役割を果たしました。




印象派による独自の個展を開催

ラトゥールの絵画『バティニョールのアトリエ』




ジールによって印象派を代表する画家が一同に集結しますが、相変わらずサロンでは落選になるばかり。サロンに入選する作品も少しはありましたが、審査員の評価基準に納得できない画家からは不満が募ります。また1863年に一度開催された「落選展」ですが、2回目以降は開催を拒否されており、落選した作品は日の目を見ることができない状況に。



そして!?



ついに!自分たちも独自の個展を開催しよう!という動きが起こります!!



1872年に落選展が再び拒否され、翌年の 1873年「画家、彫刻家、版画家等の芸術家の共同出資会社」を設立し、独自の展覧会を開催することを決意します。第1回展にはそこまで多くの来場者はなく、大成功とは言えませんでしたが「印象派」という言葉が世間に浸透するきっかけになりました。記念すべき第1回は、1874年に会社名と同じく「画家、彫刻家、版画家などの美術家による共同出資会社第1回展」という名称で開催されています。



長ったらしくて覚えづらい、、、



そう思った方が大半かと思いますが、批評家のルイ・ルロワが印象派の作品について、フランスの風刺新聞に「印象派の展覧会」というタイトルで論評を掲載したことで「印象派」という名前が世間に広まります。


モネの絵画『印象・日の出』
モネ『印象・日の出』


印象派というフレーズについてはモネが出展していた『印象・日の出』の作品名が由来とされており、「ぼやけてくすんだ印象しか残らない、単なるスケッチのような不完全な絵画ばかり展示されていた」とネガティブに使われています。



しかし印象派の画家たちは「印象派」というフレーズは、実際に的を得た表現であることから意外にも気に入ることになり、第1回目の展示会を含めて「印象派展」として呼ばれることになります。



余談ですが!?



先程紹介したバジールは、実は印象派展に参加していません。。



これには理由があり、1870年に起きた普仏戦争に出兵したことで「戦死」した為です。多くの画家が戦争を前にして出兵を免れるために逃げましたが、バジールは名家の生まれであり、自ら志願して戦争に赴きました。



少し悲しい気持ちにさせたかもしれませんが、

心温めるエピソードも残されています!



ジールの遺志を継いで印象派展は開催されましたが、第2回印象派展ではバジールへの「友情の証」として、マネが所有していた『バジールの肖像』など遺作2点が出展されました。これによって画家としての活動をほとんど知らなかったバジールの父親も息子の作品を知ることができました。また最終的にバジールの所有していたモネの作品と交換することで『バジールの肖像』は父親に譲られることになりました。



印象派展は1874年の第1回から1886年まで12年間で計8回にわたって開催されました。印象派の画家同士の対立や、印象派の絵画技法から独自の絵画技法に移行して離脱した画家など紆余曲折を得て、次第に世間に認知され、20世紀に入ると絵画の売却先としてアメリカ市場が開拓されたことで、少しずつ脚光を浴びていくことになります。




印象派の絵画の特徴とは?!



ここまで印象派の誕生について説明してきましたが、芸術アカデミーの規範に縛られなかった「新たな絵画技法とは一体何なのか?」主な特徴を紹介します!



印象派の絵画の特徴

  • 戸外で制作!
  • 光と空間を正確に捉えた描写!
  • キャンバスに「黒」を使わない!
  • 筆跡の残るストローク
  • 主観的な感情も投影!
  • 日常的な題材もチョイス!



これまで風景画であっても最終的に屋内のアトリエで完成させることが一般的でしたが、印象派の画家は戸外制作にこだわり、光の移り変わりなど景色の変化に対して正確に描写することを重視しました。また写実主義のようなリアルさを考慮せずに、むしろ絵画の中に自分自身の主観的な描写を取り入れています。



POINT①

これまで戸外制作が行われなかった理由として、絵の具の保管が難しかったことが理由に挙げられます。そして19世紀にはチューブ型の絵の具が発明されたことで屋外で絵画制作することも容易になりました。


POINT②

産業革命によって鉄道網が発達したことで、フランス郊外に容易に行くことができるようになったことも大きな理由の1つです。



一般的に西洋美術では神話画や宗教画などが正統派として好まれましたが、印象派の画家たちは実際に自分の眼に映る景色を描いた風景画や庶民の日常的な様子などを描いた風俗画を積極的に描いています。



POINT③

芸術アカデミーでは権威を保つため絵画ジャンルにランク付けを明確にしています。

神話・宗教画>肖像画>風俗・風景画>静物



印象派の絵画の大きな特徴として、

「光の捉え方」が明らかに違います!


ルノワールの絵画『ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』
ルノワールムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』



こちらはルノワールの代表作である、ムーラン・ド・ラ・ギャレットの舞踏会』(1876年)になりますが、絵画全体に斑点が浮かび上がっているのが分かるかと思います。これはルノワール自身の眼に映った太陽の光を描いたものですが、芸術アカデミーだけでなく当初は一般市民にも理解されない表現方法でした。また、絵画全体が明るく描かれてますが、色彩が豊かな作品が多いことも印象派の絵画の特徴です。



POINT④

印象派の画家はパレットで絵の具を混ぜると色が暗く濁ることを嫌い、直接キャンバスに絵の具を塗り隣接する色同士で色彩の明るさを保ちました。また影も厳密には黒ではない為、暗い場所も黒を極力使用せずに表現しました。


神話画、宗教画、歴史画であれば、それなりの知識がないと理解できない描写も多く難題であり、それこそが芸術アカデミーの権威を保つことに繋がってましたが、印象派の絵画は作品を見ただけで情景が伝わる作品を描いており、これこそが大衆でも楽しめる作品として絵画が世間に浸透したきっかけになりました。




印象派の代表画家と主要作品について



こちらでは、印象派を代表する画家と主要作品について簡単に紹介します!


作品紹介については、印象派だけでなく19世紀美術の宝庫である『オルセー美術館の代表作を紹介した記事』で詳しく解説しているので、気になる方は是非、確認してください!


■現在準備中です。。
※今月中に更新します!




印象派とポスト印象派・新印象派の違いについて



ここまで、印象派を代表する画家を紹介しましたが、

ゴッホがいない?!



そう思われた方もいるかと思います。



本記事では「印象派」について解説してますが、印象派の後年に、派生する形で「ポスト印象派」や「新印象派」が誕生しており、ゴッホ「ポスト印象派を代表する画家となります。



印象派では画家自身の眼に映った光(太陽)を正確に捉えた描写にこだわっており、人物の輪郭はあやふやな傾向がありましたが、ポスト印象派は、戸外制作など印象派の絵画手法を取り入れつつ、人物を描く際は輪郭を鮮明に、はっきりとした色彩で描くなど、画家自身の感情を自由に表現する形で更に発展させました。



ポスト印象派の三大画家


セザンヌ印象派展に出展していたことと、印象派展の誕生にも関係していることから印象派の画家に含まれる場合がありますが、後年は印象派から離脱して独自の絵画技法を生み出した人物であり、一般的にはポスト印象派を代表する画家として知られています。



ポスト印象派の後には新印象派(新印象主義)と呼ばれるグループも誕生しますが、これらは「印象派」の一部ではなく、全く別の括りになります。



印象主義の誕生によって、ポスト印象派後期印象派が続きましたが、フランス革命後の個人主義産業革命における文明の発展とブルジョワジーなど中流階級の出現、そして王族・貴族以外への売り手市場の開拓など、19世紀美術以降に誕生するキュビズムに代表されるピカソの登場など、近代絵画の発展に多大な影響を与えました。




まとめ:印象派の与えた影響について



本日は印象派印象主義)について解説しましたが、これまでの西洋美術には存在しなかった独自の絵画技法を発展させ、芸術アカデミーの模範とする芸術様式でなくても、「素晴らしい作品は評価されるべき」という風潮を生み出した影響は計り知れません。



印象派の作品自体に魅力があったことはもちろんですが、印象派の活動を支えたパトロンの協力も不可欠であり、特に印象派のメンバーにバジールのように裕福な画家が多くいたことも印象派が存続できた理由として大きいかと思います。
※基本的に大半の画家が裕福な家庭で育ってます。



印象派の画家だけでなく、ポスト印象派セザンヌゴッホを含めて大半の画家の作品は生前に売れてない為、貧しい生活から抜け出せませんでしたが、彼らの情熱・思想が今日の西洋美術に与えた役割は大きく、また印象派の誕生など背景を知ることでより絵画鑑賞を楽しめるのではないかと考えて本記事を書きました。



現在は海外旅行が難しい状況ですが、日本にも多くの名画が展示されており、特に印象派は人気のジャンルなので、イベントも多く開催されています。単に絵画を眺めるだけでも楽しめますが、少し雑学を知っているともっと楽しめますし、教養としても本記事は無駄にはならないかと信じています。



ちなみに、私自身は美術専門ではありませんが、旅のプロ(自称)として、海外旅行の魅力を発信する目的で旅行記やさまざまな国の観光情報をメインに紹介しています。



メニューのカテゴリーから旅行記をクリックすると現在であれば、直近の100日間の世界周遊を「全日程」公開しています!

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読み物としても楽しめる内容にしているので、お時間ある方は是非こちらもよろしくお願いします!!


というわけで本日は以上です。


最後まで読んでいただきありがとうございました!





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