どうもゾノです!
本日は「印象派の美術館」として世界的に有名な、
オルセー美術館について紹介します!!本記事では「必ず鑑賞すべき作品」を網羅しているので、今後訪れる予定の方が事前に鑑賞作品をピックアップできるようにまとめています。
さらに!?
オルセー美術館の主要作品を簡単にさらっと紹介するだけでなく、印象派やポスト印象派、写実主義、新古典主義など19世紀から20世紀初頭を代表する西洋美術のジャンルごとに、代表する画家のエピソードを交えて詳しく紹介しているので、知識・教養としても楽しめる内容になっています!
結構なボリュームでオルセー美術館の主要作品を紹介しているので、事前に気になる作品がある方は目次からジャンプしてください!
本記事が少しでも参考になれば幸いです!!
- オルセー美術館について
- オルセー美術館の主要作品(印象派)
- オルセー美術館の主要作品(ポスト印象派)
- オルセー美術館の主要作品(その他)
- まとめ:オルセー美術館の主要作品30選|エピソード付きで完全網羅!
オルセー美術館について
主要作品を紹介する前に、
まずはオルセー美術館について簡単にお伝えします!フランスの美術館といえばルーブル美術館が最も有名ですが、オルセー美術館もパリ三大美術館の1つとして知られており、19世紀美術のなかでも特に、モネやルノワール、ドガなど「印象派の美術館」として多くの有名絵画を所蔵しています。
※後期印象派のセザンヌやゴッホの作品もありますよ!
ちなみに!!
パリ三大美術館の所蔵作品は、
素晴らしいことに!各時代ごとに区別されています!!
一部例外はありますが、オルセー美術館では2月革命(1848年)から第一次世界大戦(1914年)までの作品を所蔵することが決められています。
つまり、19世紀美術より以前の絵画に興味のある方は「ルーブル美術館」、20世紀美術を代表するピカソや現代美術に興味のある方は「ポンピドゥー・センター」を訪れると気に入った作品に出会えるはずです!
また、オルセー美術館は鉄道駅を改装していることもあり、2階に今も現存する時計台(大時計)は撮影スポットとしても人気があるのでお見逃し無く!
パリ市内を一望できて景色も素晴らしいですよ!!
オルセー美術館の主要作品(印象派)
ここからはオルセー美術館に展示されている印象派の画家による代表作を紹介します!
まずは印象派について簡単に!!
印象派とは、モネの『印象・日の出』という作品のタイトルが由来しており、元々は当時の主流である伝統的な絵画手法を用いたアカデミック美術と異なり、「ぼやけてくすんだ印象しか残らない絵画」としてネガティブな言い回しで誕生したワードになります。
19世紀は現代のように気軽に個展が開催される時代ではありません。フランス芸術界を牛耳っていた芸術アカデミーによるサロン展で入選を果たすことが芸術家の登竜門となってましたが、印象派グループの画家たちは出展してもたまに当選するくらいで、多くの絵画が落選となり不満が募り出します。そして、「芸術アカデミーに評価されないなら自分たちで独自の展覧会を開催しよう!」と印象派展を開催し、徐々に世間から評価を獲得していきました。
印象派は、かなり尖ったグループとして面白いエピソードも多く、
本記事では紹介しきれないので、こちらの記事を読むとより詳しく理解できます。
本記事で紹介する画家のエピソードも含んでいるので、
先に読むとより楽しめる内容になっています!それでは前置きが長くなりましたが、
これより印象派の画家ごとにオルセー美術館の主要作品を紹介します!!
マネの代表作
エドゥアール・マネ(1832-1883)は19世紀のフランスを代表する写実主義の画家ですが、印象派グループの中心的存在であったことから印象派の画家としても知られています。マネの父親は法務省の高級官僚で母親は外交官の娘と、裕福な家庭で育ちます。当初は父親から法律家になることを期待されてましたが、中学時代から絵画に興味を持つように。最終的に水兵になるための海軍兵学校の試験に二度も不合格となったことで父親も諦めて、18歳の頃より画家としての道を進むことになります。マネがサロンに出展した前衛的な絵画は当時のフランス芸術界で大スキャンダルを巻き起こしましたが、モネやルノワール、ドガなどは時代の先をゆくマネの革新的な絵画を称賛し、後に師事するきっかけとなり印象派の誕生に大きな影響を与えました。ちなみに、マネ自身はサロンで入選することに強く拘っていた為、印象派展には一度も参加してません、また印象派の画家以外にもマネに尊敬の念を抱くと同時に、数々のオマージュ作品が制作された画家としても有名です。草上の昼食
こちらはマネが1863年に制作した『草上の昼食』という絵画で、サロンに出展するも落選となりました。そして後に、落選した画家たちの不満を抑える為に開催された「落選展」に出展したことにより、フランス芸術界に大スキャンダルを巻き起こします。
マネはヴェネツィア派の巨匠ジョルジョーネの作品を模倣して描きましたが、男性が衣服を着ているのに対して女性は不自然に裸の状態で描かれています。当時の西洋美術では宗教画などで女神や天使を描く場合にのみ、女性を裸で描くことが許されていた為、世間を騒がせました。
ちなみに本作は多くの画家がオマージュ作品を制作しており、印象派の代表画家であるクロード・モネや、マネと同じく『近代絵画の父』とも呼ばれるポール・セザンヌの作品もオルセー美術館に展示されているので、後述する印象派・ポスト印象派のパートで紹介します!
オランピア
こちらの『オランピア』(1865年)は先ほど紹介した『草上の昼食』の後に制作されてサロンに出展された絵画ですが、前回以上に大バッシングを受けます。
理由は今回は明らかに存在する女性を描いたことが分かることによります。オランピアは通称、「パリの娼婦」を意味しており、娼婦を典型的なヴィーナスのポージングで描いたことに対して、醜悪で不道徳な絵画としてフランス芸術界から袋叩きにあいます。事実、影響は凄まじく、マネは制作後にしばらくパリから離れるほど叩かれています。しかし、これらの作品を制作したマネは印象派など前衛的な画家の尊敬を集めることとなり、むしろ称賛を獲得しています。ちなみに裸の女性は実際の情婦ではなく、画家のヴィクトリーヌ・ムーランがモデルとなり、右側にうっすらと描かれた黒猫も性的イメージを揶揄しているとされています。
ここからは、またまた他の画家による複製画とオマージュ作品を紹介します!
尊敬の念から複製画を制作しました。
構図は全く似てますが、サイズは4分の3でかつ花飾りの女性の表情や黒人の顔の描き方に違いが見受けられます。こちらは個人所蔵ですが、企画展などで貸し出されることも多いので運が良ければオルセー美術館でも出会えます!
※2019年7月時点では企画展で鑑賞できました!
続いてオマージュ作品として、現代画家のアイメ・ムパネ (1968-) による『Olympia II (2013)』を紹介。
合板片を素材に、こちらも構図は似てますが、オランピアの女性と黒人の顔が入れ替わっています。またブーケには頭蓋骨が入っており、これはヨーロッパからアフリカに対する「酷い贈り物」を皮肉として表現しているとされています。
そして!?
ポール・セザンヌはまたまたオランピアでもオマージュ作品を制作しており、こちらもオルセー美術館で鑑賞できるので、後ほどセザンヌ紹介パートで解説します!
笛を吹く少年
こちらは1866年に制作された『笛を吹く少年』で、マネの代表作として一度は見たことがあるかもしれませんが、こちらもサロンで落選した作品となります。
背景は何もなく、また鼓笛隊の少年もリアルっぽくなく平面的に描かれていますが、これには理由があります。本作は先ほど紹介した『オランピア』の後に制作されましたが、1855年にマネは諸事情(バッシングに耐え兼ねて)でパリを離れており、スペイン旅行(傷心旅行)しています。そして、かねてより尊敬していたスペイン画家の巨匠ディエゴ・ベラスケスの『道化師パブロ・デ・バリャドリード』 に刺激を受けて、帰国後すぐに絵画制作に取り掛かったとされています。
絵画に描かれた子供に真っ先に目を奪われたと思いますが、これは鑑賞者に向けて、人物に意識を集中させる為のテクニックが使われています。構図はベラスケスの作品と同じでモデルが違うだけとなり、足元の影のみ で何もない世界に人物だけが存在しているかのように描いています。
そして!
日本人として嬉しいことに「ジャポニズム」 の影響も受けて描かれています。これまで日本について何も知られてなかった時代でしたが、ヨーロッパ各国で開かれた万国博覧会や貿易を通じて、浮世絵や版画や屏風、そして着物など日本独特の伝統文化がパリを含めてヨーロッパ中で大流行します。そして西洋美術とは全く異なる日本の美意識に多くの芸術家が衝撃を受けており、マネもそのうちの一人となります。
当時の西洋美術では、立体感を持たせてリアルに描くことが好まれてましたが、マネは浮世絵を参考に、人物の輪郭も敢えて残して描いています。そして、ただ真っ黒に塗りつぶすのではなく、帽子から上着、そしてズボンの縦縞から靴まで黒を基調に統一感を持たせて描き上げています。また絵画全体に黒、白、赤、黄色と色数が少ないですが、こちらも日本の版画の影響を受けているとされています。
本作はマネを知るうえで必見の作品ですが、あまり興味のない方も、平面的に見えるか?それとも立体的に見えるか??是非、自分の目で確かめて見ることをお勧めします。
モネの代表作
- 画家として幾度も困窮
- 印象派の誕生に主要メンバーとして深く関わる
- 代表作『印象・日の出』は印象派の名前の由来
- 光の画家の異名をもち光と時間の変化を追求
- 似たような作品(連作)を多く制作
- オランジュリー美術館は代表作『睡蓮』の為の美術館
草上の昼食
こちらはモネの『草上の昼食』という作品で、マネの代表作として紹介した『草上の昼食』のオマージュ作品であり、同名作品となります。元々は1枚の巨大な絵画でしたが、保存状態が悪かった為にモネ自身で切断し2枚に分かれています。
マネとモネは、マネが年長となりますが共に同時代に活躍した画家です。2人とも名前が似てますが、実際にマネ自身、当初はモネが自分の名前を利用していると思っていたそうです。(モネは本名)モネはマネを尊敬しており、マネの『草上の昼食』に敬意を込めて同作を制作しました。ちなみに、マネの『草上の昼食』は落選展に出展した際は『水浴』という題名でしたがモネの作品を意識して題名を変更しています。
どっちがマネしてるのか?ちょっと混乱しますね!笑
日傘をさす女(戸外の人物習作)2作品
モネは「日傘をさす女」と題して、3作品を制作しており、オルセー美術館では同時期に制作された2作品を鑑賞できます。
第1作目は1875年に制作され、モネの妻であるカミーユと息子のジャンがモデルとして描かれましたが、それから10年後となる、1886年に制作された本作の『日傘をさす女(右向き)』と『日傘をさす女(左向き)』では同じ構図にも関わらず、モデルはカミーユではなく、シュザンヌという女性になります。
なぜ?!
同じ構図でなぜ違う女性を描いたのか不思議に思いますが、実は妻のカミーユは1作目が制作された後の1879年に病気で亡くなっています。
そしてシュザンヌは2番目の妻となった、アリスの娘になります。モデルが前作のカミーユではない為、当然、息子ジャンの姿も見当たりませんが、1作目と違って女性の姿はぼやけて鮮明に描かれていません。
これには諸説あり、シュザンヌをモデルとしながらも、亡くなったカミーユへの想いが作品に込められているのではないかとされています。
素敵なエピソード!と思いますが、裏話があります。。
アリスはモネの有力なパトロンだったエルネスト・オシュデの妻です。オシュデ家は資金援助をしてましたが後に破産しモネ宅で共同生活が始まり、オシュデが仕事でパリに出掛けている間に恋仲になったとされています。ちなみに、本作を描いた当時は表向きは妻ではありませんが、1891年にオシュデが亡くなり、その翌年にアリスと再婚しています。
正直、モネにはがっかりです!笑
絵画を購入したり、資金援助をするなど長く支援していたパトロンの妻を寝取るなんて、、、
個人的な意見ですが、自分の恋したアリスの娘を元妻であるカミーユと同じ構図で描いた際に、元妻との良い思い出を上書きしたくなかった為に、はっきり表情が分からないように描いたのではないかと思います。
ちなみに第1作目のカミーユ版はワシントンのナショラル・ギャラリーが所蔵しています。
かささぎ
こちらはモネが1868-1869年に制作した風景画の『かささぎ』です。モネはこの時期から1890年頃までに冬の雪景色をテーマとした作品を大量に制作しています。本作では雪が一面に広がる銀世界に佇む1羽のかささぎ、そして太陽の光で創り出された影が美しく描かれています。
「雪=白」というイメージですが、単純に雪を白の単色のみで表現せずに光の明暗で色彩を使い分けており、また影の部分を黒ではなく青白っぽく描くなど、印象派の特徴が全面に出ている作品です。
ルノワールの代表作
ピエール=オーギュスト・ルノワール (1841年-1919年)はフランス生まれの印象派の画家で風景画よりも人物画を好んで描いた画家です。生い立ちとしては、他の印象派の画家がブルジョア階級の家庭に育ち、早い時期から絵画に触れているのに対し、ルノワールの場合は労働者階級の家庭であった為、幼少期から絵画や音楽の才能があったにも関わらず、生活の為に磁器の絵付職人の見習いとして13歳から働きます。数年間の修行を経て、職人としての腕を磨きましたが、産業革命により手描きよりも機械プリントが好まれる時代となり、仕事を失うことに。その後は扇子に手描き装飾するなど引き続き職人としての道を進みますが、20歳の時に転機が訪れます。モネやシスレーなど、後の印象派の画家が集っていたシャルル・グレールのアトリエ(画塾)に入門し、本格的に画家になることを目指すようになり、他にも美術学校に通ったり、ルーブル美術館を訪れて絵画技術を習得していき、すぐにサロンにも出展。1863年(当時22歳)の初出展こそ落選となりますが、翌年からはサロンにも何点か入選します。絵画制作ではバジールからアトリエを借りるなど支援を受け、モネやシスレーとも一緒に活動した時期もありました。美術収集家のパトロンも増えたことで絵画制作の依頼や作品を購入してもらうことで生活を賄いますが、基本的に生活は困窮から脱却できず。サロンの審査も厳しく年々、落選が続いたことでモネなどと共に「印象派展」の開催に繋がります。印象派展によって新たにパトロンも獲得しますが、印象派展は世間から評価されなかった為、生活は豊かになりません、画家として成功する為にはサロンで入選する必要があり、「印象派展に出展する画家はサロン出展はするべきでない」と考えていた同じく印象派のドガと対立。その為、第4回印象派展(1879年)への自身の参加は見送りましたが、功を奏して、サロンに出展し入選を果たしたことで画家としての人気が少しずつ高まります。ルノワールの絵画の特徴は、画家を始めた頃と晩年で大きく異なります。職人時代はロコロ調の装飾を描き、印象派として活動するまではサロンに入選する為、サロン受けの良い絵画技法を使用しつつ、クールベやドラクロワなどロマン派の影響を受けています。そして印象主義を経て新古典主義の巨匠アングルの影響も受けて独自の絵画技法を追い求めます。そして最終形態として、色彩豊かで親しみやすい喜びに満ちた絵画を描くようになり、現在最も人気を博しています。晩年にはリウマチを伴い、手が思うように動かなくなりましたが、それでも筆を手に巻き付けて絵画制作を続けたとされており、ルノワール自身も喜びを感じるほど絵画制作が好きだったことが伺えるエピソードも残されています。ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットの舞踏会
こちらは印象派を代表する絵画の1つである、1876年に制作された『ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットの舞踏会』です。色彩豊かで美しい作品ですが、第3回印象派展に出展された当時は印象派の絵画技法は世間に認められておらず、古典主義絵画が良しとされていた時代だったこともあり、木漏れ日を表現した斑点が紫がかって気味が悪いと批評家には評価されませんでした。
本作では、焼き菓子を販売していた親子が経営する風車のある大衆酒場が舞台となっており、労働者階級の人々の憩いの場として、特に週末は賑わっていたとされています。
※ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットは現在もモンマルトルの丘でレストランとして営業しています。
ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットはフランス語でムーランは「風車」ギャレットは「焼き菓子」を意味しています。
晴れた日に屋外で開催されていた舞踏会の様子を描いており、絵画に登場する人々は皆、タキシードやドレスなど着飾っています。ちなみに、実際に大勢が踊っている様子を描くのは難しかった為、ルノワール自身の友人たちにモデルを依頼して描かれました。
印象派の特徴でもある戸外制作で描かれましたが、絵画のサイズは「1.31m x 1.75m」と巨大でキャンバスを持ち運ぶのは容易ではありません。その為、ルノワールは小さい絵画を描き、それをもとにアトリエで本作を仕上げたとされています。
※小さいバージョンは現在、個人所蔵となります。
印象派展では買い手が現れませんでしたが、友人であり同じく印象派の画家であるカイユボットが本作を購入し、生活に困窮していたルノワールを支援しました。また、カイユボットは「絵画コレクションをフランス政府に寄贈してほしい」と遺言を残した為、現在はオルセー美術館の所蔵となっています。
ブランコ
こちらの1876年に制作された『ぶらんこ』は第3回印象派展に出展されましたが、同じく出展された『ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットの舞踏会』と同様に木漏れ日の表現方法が当時は斬新であった為、批評家からは評価されませんでした。
※友人のカイユボットが本作も購入して支援しました。
2つの作品は雰囲気が似ていますが、モンマルトルの庭で同時期に描かれた作品であり、舞踏会の会場に併設されていた「ぶらんこ」をテーマに制作されました。
ぶらんこに触れている少女は踊り子のジャンという女性で、ルノワールがモンマルトルで見掛けた際に声をかけてモデルとして依頼しました。ちなみに、ジャンは『ムーラン・ドゥ・ラ・ギャレットの舞踏会』でも登場しているので見比べると簡単に発見できます。
田舎のダンス、都会のダンス
ルノワールが印象主義から古典主義的な絵画に傾倒していった頃に描かれた「ダンス3部作」のうちの2作品がオルセー美術館では隣同士に展示されています。
どっちが都会で、どっちが田舎??
正解は左側の作品が『都会のダンス』です。手の仕草など所作から上品さが見受けられます。そして右側の作品が『田舎のダンス』となり、和気あいあいと楽しげにダンスをしている様子が描かれています。
ちなみに、2作品でモデルを担当した女性は別々ですが、ルノワールは両方に同時期に恋心を抱いていたそうです。
『都会のダンス』と第1作目の『ブージヴァルのダンス』(1883年)でモデルを担当したシュザンヌ・ヴァラドンの息子である画家のモーリス・ユトリロはルノワールが父親ではないかとされています。また『田舎のダンス』で踊る男女の2人は後に夫婦となります。
※『ブージヴァルのダンス』はボストン美術館が所蔵しています。
ドガの代表作
エドガー・ドガ(1834-1917)は、フランスの印象派の画家であり、彫刻家としても知られています。パリで銀行を経営する上級階級の生まれであり、パリジャンとして教養も兼ね揃え、また画家生活も貧窮とは無縁でした。印象派の画家たちは戸外制作にこだわる中、当時は年単位で座席を購入して定期会員になるなど、特権がないと入ることの許されない、バレリーナの稽古場など屋内で多くの絵画を制作しました。また印象派展のほぼ全て(計7回)に出展しましたが、展覧会の名称自体も好まないほど「印象派」と一括にされることを拒んでおり、さらに毒舌家として度々、ルノワールなど印象派の画家と衝突するなど頑固でプライドの高い人物です。印象派は古典主義を規範とする芸術アカデミーに反発していましたが、個人的な意見として、ドガは「現代生活の古典画家」を自称しており、芸術アカデミーに対抗するグループの一員として印象派に所属していた側面が大きいかと思います。ダンス教室(バレエの教室)
こちらはドガの『ダンス教室』(1874年頃)です。印象派の特徴でもある、タッチの残る筆使いや淡い色彩などの絵画技法を取り入れている反面、逆に印象派と対立していた芸術アカデミー(サロン)が規範とする古典的絵画の特徴も見受けられる作品です。しかし伝統的なバレエの絵画と違い、本作では舞台ではなく、練習風景が描かれており、また有名なバレリーナを美しく描くのではなく、無名の踊り子の舞台では決して見せない笑顔で陽気な日常的な場面を描くなど、ドガが風俗画を中心とした「現代生活の古典画家」を目指していたことが垣間見れる作品です。
踊りの花形(エトワール、あるいは舞台の踊り子とも呼ばれる)
こちらはドガの代表作である『踊りの花形(エトワール、あるいは舞台の踊り子とも呼ばれる)』(1878年頃) です。バレリーナが踊っている一瞬を切り取ったかのように描かれてますが、注目するポイントは端に見える黒い服を着た男性です。
顔が隠れてはっきり見えませんが、こちらの男性はバレエを踊るパトロンとされており、ひっそりと陰から覗いている様子を同時に描きました。華やかな世界のバレエですが、実情はドロドロしており、19世紀のバレリーナの生活は貧しく、情婦のようにパトロンに気に入られないと貧しい生活から脱出できない時代でした。本作ではバレエを踊る美しい絵画を描きつつも、現実の醜く理不尽な世の中の「闇」の部分も表現しています。
14歳の小さな踊り子
ドガは晩年に視力の低下に伴い、絵画制作から離れて彫刻を制作します。そして、彫刻の題材も大半がバレエの踊り子。こちらは第6回印象派展に出展された『14歳の小さな踊り子』の鋳造版で、生涯のうちに彫刻として一般公開した唯一の作品です。元々は蜜蝋で制作されましたが、保存状態が悪く、ドガの死後に友人の手によってアトリエに保管されていた他の彫刻と共にブロンズ像として1921-1931年頃に鋳造されました。型が存在する為、世界のあちこちの美術館で同様の作品を鑑賞することができます。
ブロンズ像だからか、
見た目、めちゃめちゃ気持ち悪いです。(失礼)薄気味悪さの原因は単なる銅像ではなく、本物のチュチュを着ていることも関係していると思います。驚くべきことに、オリジナルではバレエシューズも履いて、頭部には本物の髪の毛を使用し、束ねた髪はリボンで結ばれていたとの事。。
現代でいう、リアルドール、マネキンのような感じですが、当然ながら19世紀当時も他に前例がなく、「醜悪」「変態」と非難されています。私自身も失礼ながら不気味に感じましたが、逆にポジティブに考えれば、生きているかのような、そして今にも動き出すリアルさを追求した作品となります。
オルセー美術館の主要作品(ポスト印象派)
印象派の後に後期印象派(ポスト印象派)が誕生しますが、印象派絵画から影響を受けつつも独自の絵画技法を確立しており、印象派とは区別されています。
セザンヌは元々は印象派グループに属してましたが、途中で離脱して独自のスタイルで長く活動したことから、ポスト印象派の画家として区別される場合が多いです。またポスト印象派の絵画技法に定義はなく、同時期に活躍した画家を一括りにまとめた呼称となる為、セザンヌや、ゴーギャン、ゴッホそれぞれが全く異なる表現技法を用いて絵画制作しました。
それでは、これよりポスト印象派の三大巨匠について詳しく紹介します!
セザンヌの代表作
ポール・セザンヌ(1839-1906年)はフランスのポスト印象派の三大巨匠のうちの一人であり、「近代絵画の父」とも称される大物画家ですが、絵の才能に秀でていた訳でなく、けっこう大器晩成型の人物です。セザンヌの父親は南フランスで銀行経営者として成功しており、裕福な家庭で育ちます。18歳の頃から素描学校に通って芸術を学んでいましたが、父親の希望により大学では法学部にも通学し、青年時代は画家と法律家のどちらに進むか決断できないまま過ごします。そして画家を目指し始めた22歳の頃に大学を中退しパリに移り住むことを決断、アカデミー・シェイスで絵画制作に本格的に取り組みます。同アカデミーでは印象派の長老(最年長)となるカミーユ・ピサロと出会い、この頃より親交を深めます。セザンヌは他の塾生と比べて絵画技術が低く、また田舎っぽい性格も災いして馴染むことができず挫折を経験し、実家に戻って銀行家として働いた時期があります。結局、銀行経営の才能も開花せず再び出戻りしており、同塾でモネやルノワールと出会うことで、印象派の設立メンバーの一人として互いに今後の芸術の在り方について議論するなど親交を深めます。印象派の画家の大半はサロンに既に入選していたり、印象派展に参加した後もサロンへの入選を目指して出展を続けた画家もいましたが、全員がもれなく入選を果たしているのに対し、セザンヌはサロンでは「全て落選」しています。ちなみにサロンで入選を果たしたのは生涯で1回のみで、1882年に出展した『L・A氏の肖像』は審査員であった友人の特権で入選しています。周りが少しづつ画家としての成功を収めていく反面、セザンヌは印象派の画家とも距離を置き、パリから離れて独自の絵画技術を追求します。そこではサント・ヴィクトワール山の風景画やりんごの静物画などの作品を多く手掛けており、代表作としても知られていますが、セザンヌが残した有名な手紙の一節でもある「自然を円筒、球、円錐として捉える」という考え方が影響しています。これは写実主義のように、絵画はリアルさを求める必要はなく、自分自身が思うように描くべきだという発想に基づいており、セザンヌは自分の見て感じたままに描くことを追求します。時代がセザンヌに追いついたのか、印象派展を機に新たな芸術様式が息吹き始めていく中で、セザンヌが制作した絵画は他の画家とは全く異なり「前衛的」と良い方向に捉えられる時代が到来し、1895年の晩年には人生初の個展が開催されるなど世間に受け入れられていきます。そして1900年のパリ万博ではセザンヌの作品も出展されるなどフランス芸術界においても芸術家としての地位を確立しています。セザンヌは1906年に亡くなりますが、翌年に開催された「回顧展」ではキュビズムを代表する画家であり、世界的に最も有名なピカソも実際に訪れて大きな影響を受けたとされています。牧歌(バルバリア河畔のドン・キホーテ)
こちらはセザンヌの『牧歌(バルバリア河畔のドン・キホーテ)』という絵画で、マネのパートで紹介した『草上の昼食』のオマージュ作品となります。
こちらはオマージュ作品というより、マネに敬意を表しつつ「対抗」した形で描かれた側面が強いと言われています。また同名のタイトルを付けずに制作された作品が他にも3点現存しています。ちなみに、寝そべっている男性はセザンヌ本人です。本作を油性で描いたスケッチ画はオランジュリー美術館に展示されているので、気になる方は是非、チェックしてください。
モデルヌ・オランピア
セザンヌの1873-1874年に制作した『モデルヌ・オランピア』はマネの代表作として紹介した『オランピア』のオマージュ作品となり、第1回印象派展に出展された作品です。
『草上の昼食』と同様にマネに敬意を示しつつ、こちらも対抗意識を持って描かれたとされています。マネの作品と描き方は異なりますが、最も大きな違いとして、セザンヌの作品ではオランピア(情婦)のすぐ側に男性が描くことで、一般的な風俗としてのイメージをより際立たせています。
オーヴェルの首吊りの家
こちらの『オーヴェルの首吊りの家』(1873年)は第1回印象派展に出展された作品です。制作した当時はカミーユ・ピサロと共に絵画活動をしており、ピサロから印象派の絵画技法を学んでいたとされています。
「首吊りの家」という、ちょっと怖いタイトルが付いてますが、実際に首吊りの家と呼ばれていたのかは不明です。戸外制作の為、印象派らしく、明るい色彩で描かれてますが、路地の描き方がいびつであり、不安定さと複雑さが交錯しており、絵画全体に重たい雰囲気が漂っています。
多くの鑑賞者が窮屈に感じた為か、こちらは印象派展では全く評価されませんでしたが、印象派の絵画コレクターであったアルマン・ドリア伯爵に300フランの高値で購入されました。(後にオルセー美術館に寄贈となる)
リンゴとオレンジのある静物
こちらは『リンゴとオレンジ』という静物画であり、セザンヌは特にリンゴなど果物を取り入れた作品を多く手掛けましたが、本作は構図から構成、対象の捉え方における完成度が最も高い代表作として知られています。
絵画の中でリンゴやオレンジが描かれていることは分かるものの、リアルな描写とは異なり、様々な角度から「そこにある存在」としてセザンヌ自身の内面的な感情も含めて再構成したうえで静物画として描いています。
今にも崩れ落ちそうな果物もバランスを考えた配置で構成し、色味のある赤色のリンゴと橙色のオレンジを白い敷物の上に置くことでコントラストをもたせて対象物を強調させています。
カード遊びをする人々
こちらはセザンヌの『カード遊びをする人々』(1893-1896年)という晩年の作品であり、同じ題名の作品が5点存在していますが、本作が最終版として最も有名な絵画です。
農民の男性がギャンブルに興じている様子を描いてますが、他の風俗画とはちょっと異なる視点となっています。
これまでにもギャンブルを題材にした絵画は存在しますが、セザンヌの絵画には定番の「酒」や「お金」が描かれていません。また通常であれば不可欠な物語性やテーマなどがなく、人物の性格を表す要素もなく、まるで「人物の静物画」であるかのように、遠近法を用いず平面的に勝負に熱中している様子を表現しています。
ちなみに、残りの4作品は、ニューヨークのメトロポリタン美術館、フィラデルフィアのバーンズ・コレクション、ロンドンのコートールド・ギャラリー、カタール王室が所蔵しています。
2011年にカタール王室が『カード遊びをする人々』の1作品を推定2億5000万ドルから3億ドルで購入したとされており、セザンヌは「最も高額で絵画が売買された画家の一人」としても知られています。
ゴーギャンの代表作
ポール・ゴーギャン(1848-1903)はフランス出身のポスト印象派を代表する画家です。ゴーギャンは幼い頃から画家を目指していたわけでなく、10代後半は航海士として、20代前半は海軍に在籍、そして後に株式仲買人や画商ビジネスで生計を立てており、画家としての活動は20代半ばから日曜画家として趣味の範囲で絵を描いたのが始まりです。本業として本格的に出発したのは30代に入ってからとなり、元々は印象派グループに所属してましたが、後に独自のスタイルを求めて離脱しています。40歳の頃には同時期に活動していたゴッホの誘いを受けて共同生活を始めますが、あの有名な「耳きり事件」が起こり、たったの9週間で袂を分かつことに。ゴーギャンの作品の特徴として、独特の色使いが挙げられますが、制作された当時は批判的な意見が多く、作品もほとんど売れなかった為、貧しい晩年を過ごします。現在では前衛美術や近代美術に大きな影響を与えたとして高い評価を得ており、特にフランスからタヒチに移住した時期に描いた絵画は傑作として、高額で売買されるなど人気があり、2015年にオークションに出品された『いつ結婚するの』は約3億ドル(当時レートで360億円)で売買されるなど、世界で最も高額に取引された画家の一人としても知られています。なお最近ではゴーギャンの事を正しい発音からゴーガンと表記される場合もありますが、同一人物となります。タヒチの女(浜辺にて)
こちらの1891年に制作された『タヒチの女』はポスト印象派の代表作としても知られています。
本作はゴーギャンが初めてタヒチ島を訪れた時期に制作された作品で、画面いっぱいに大きく描かれた二人の筋肉質な女性が特に際立つように描かれています。平面的で奥行きがない描写でありながらも、海と浜辺の極端な色彩の明暗と女性の異なったポーズによって不思議と絵画全体に立体感が生まれています。
タヒチで制作された他の作品と同様に、鮮やかな色彩で南国の雰囲気が表現されており、ゴーギャンの絵画の特徴である、暗い輪郭線をあえて残すことで抽象的にはっきりとさせる絵画技法で描かれた傑作として、オルセー美術館を訪れる方は必見です。
ゴッホの代表作
- 世界で最も有名な画家の一人
- ひまわりや自画像を多く残す
- 炎の画家として短い生涯に多くの絵画を制作
- 精神的に病んでいた晩年の作品が特に人気
- 生前はたった1枚しか絵画が売れなかった
ローヌ川の星月夜
こちらは『ローヌ川の星月夜』という風景画でアルル滞在時の1888年に制作されました。ローヌ川の堤防から描いており、ゴッホは戸外制作している為、実際に夜にデッサンし電灯の下で描きあげています。
大きな特徴として、夜景を描いているにも関わらず、黒を使用していません。アルル滞在以降にゴッホは夜景を好んで描くようになり、他に似たタイトルで『星月夜』という晩年の作品も有名ですが、晩年は死を想起させるような闇の部分が強く表現されているのに対し、本作は美しく穏やかな印象を与える作品として人気を集めています。
自画像
こちらはゴッホがサン=レミに滞在していた1889年に制作された『自画像』です。ゴッホは約10年ほどの画家活動の中でパリに移住してから約37点の自画像を残しています。
オルセー美術館に展示されている本作は、アルル滞在の後となりますが、アルル滞在時はかの有名な「耳切り事件」が起きています。そのため、サン=レミ滞在時に制作した3点全てにおいて、ゴッホは意図して切断された耳が写らないように逆向きで描いています。
オーヴェルの教会
本作は1890年に制作された『オーヴェルの教会』で晩年の作品になります。サン=レミの精神病院を退院した後、オーヴェルに移り住みますが、ここが最期の地となります。
オーヴェルでは10週間の間に約100点という尋常じゃない程に大量の絵画を制作しています。
絵画の特徴として、代表作である「アイリス」や「星月夜」と同様に、これまでより長めで直線的な筆使いと、うねるようなタッチで描かれており、精神的に病んでいたゴッホの当時の心境をも感じ取れる作品として高い評価を得ています。
オルセー美術館の主要作品(その他)
こちらでは印象派、ポスト印象派以外にも必見の主要作品を紹介します!
まずは簡単に19世紀の西洋美術の歴史を振り返ります!
特に、ドミニク・アングルは新古典主義の巨匠でかつ、印象派を全く評価しなかった芸術アカデミーの重鎮であり、クールベは写実主義の画家として、マネと同様に印象派の誕生に大きな影響を与えた人物であり必見です。
ドミニク・アングルの代表作
ドミニク・アングル(1780-1867年)はフランスの画家で新古典主義の巨匠として知られています。父親は芸術家・職人であった為、幼い頃から絵画に触れており、11歳で芸術アカデミーに入学し若い頃より画家としての才能を発揮します。17歳の頃にはパリに移り住み、新古典派の巨匠ジャック=ルイ・ダヴィッドのアトリエに弟子入りし、その後は当時の若手の登竜門であるローマ賞を受賞するなど画家として成功しています。30代の頃に発表した、新古典主義の絵画を踏襲しつつも独自の着想で描いた後に代表作となる『浴女』や『グランド・オダリスク』では画家としての評価を落とす結果となり、暫くパリを離れてイタリアで活動します。幸運なことに、ナポレオン1世の失脚により宮廷画家として活躍していた師匠のダヴィッドが亡命したことで、空いた席にアングルが収まる形でフランス芸術界に返り咲きます。それ以降は芸術アカデミーや美術学校の学長を務めるなど活躍します。アングルの代表作『浴女』と『グランドオダリスク』そして、『トルコ風呂』は全てルーブル美術館に展示されています。気になる方はこちらの記事をチェックしてください。
ミレーの代表作
晩鐘
こちらは『晩鐘』という農民画で1855-1857年頃に制作されたミレーの代表作です。
バルビゾン地方のジャガイモ畑で農作業をする夫婦が教会から聴こえてくるアンジェラスの鐘に合わせて祈りを捧げている様子を写実的に描いた作品であり、ミレーは幼い頃に祖母から「死者の為に天使に祈祷すること」を伝え聞いており、それを思い起こして制作したとされています。
落ち穂拾い
1857年に制作された『落ち穂拾い』も『晩鐘』と同じくミレーの代表作ですが、サロンに出展された際には保守的な批評家によって「貧困を誇張している反民主主義的な絵画」として議論を巻き起こしました。
落穂拾い(おちぼひろい)とは、収穫後の田畑に散らばる稲穂や穀物の茎穂を拾う作業のことであり、当時は貧しい人の為にあえて落穂を拾えるように残していたとされています。
一見すると、のどかな雰囲気の中で女性たちが働いている姿をノスタルジックに描いているように思えますが、実際は違います。
落穂を拾い集める女性たちは、畑を持たない貧しい農婦や病気や怪我などで貧困の生活を強いられている人々になります。そして、地主はそんな貧困層の人々の為に収穫時には敢えて落穂を残すべきとされていました。
背景に見える稲穂の豊作さと相まって、描かれた3名の女性は生きていくため、僅かな食事の為に懸命に落穂を拾い集めており、ミレーはそんな女性にスポットを当てて、かつ写実的に描写した為に批判にあいました。
ミレーは熱心なカトリック教徒であるとされていますが、貧窮にあえぐ人々を貧しく描くのではなく、むしろ美しくも力強く描いたことで、農民画の傑作として現在では高い評価を獲得しています。
クールベの代表作
ギュスターヴ・クールベ(1819年-1877年) は、フランスの写実主義の画家であり、印象派の誕生にも大きな影響を与えた人物です。男前で、少し偏屈なクールベとは一体、どのような画家でどんな活躍をしたのか、こちらの「印象派の誕生」に関する記事で詳しくまとめています。
オルナンの埋葬
1849年にサロンに出展されたオルナンの埋葬はスキャンダルを巻き起こします。クールベは2年前の1849年に『オルナンの食休み』をサロンに出展し、フランス芸術界の巨匠であるアングル、ドラクロワの両巨塔から絶賛されており、画家としての成功を収めていた時期でした。そして本作も同様にクールベの故郷であるオルナンの埋葬のワンシーンを描きましたが、アカデミック美術のルールに従っていない絵画のサイズが問題視されました。
本作は「縦3.1m x 横6.6m」と巨大な作品となりますが、通常このような大きな絵画を制作するテーマは歴史画や宗教画に限定されていました。そしてクールベ自身もそのことを知っていたうえで『オルナンの埋葬に関する歴史画』として発表しました。これは大きな挑戦でしたが、「ごく一般的な葬式の様子をあたかも歴史的な出来事のように表現」したとして世間には受け入れられませんでした。
アンリ・ルソーの代表作
アンリ・ルソー(1844-1910年)は19世紀末から20世紀初頭に活躍したフランスの素朴派の画家です。元々はパリの税関職員として働いており、画家として活動を始めたのは40歳になってからとかなり遅いです。美術学校にも通ってないからか、作品もかなり独特で、芸術アカデミーのサロンに出展しても全く入選しません。また会費を払えば誰でも参加できるアンデパンダン展に出展しますが、当時主流だった古典的絵画から大きく逸脱しており、鑑賞者や批評家から嘲笑されるなど全く評価されません。転機が訪れたのは、1889年に開催されたパリ万博で当時フランスの植民地であったセネガルやタヒチのジャングルに感動し興味を持ったことが挙げられ、以降はジャングルをテーマに多くの作品を残し、少しずつ評価を獲得しました。なかでも後期印象派のゴーギャンや新印象派の創始者であるジョルジュ・スーラ、そして誰もが知るピカソはルソーの前衛的な絵画を高く評価しており、現在では20世紀美術に大きな影響を与えた人物の一人として知られています。蛇使いの女
こちらはルソーの代表作『蛇使いの女』(1907年)という絵画で、熱帯のジャングルを表現する為に多くの植物が様々な緑系の色彩を使用して描かれています。
ルソー自身は本物のジャングルを訪れたことがなく、これらはパリの植物園や自然史博物館、雑誌の挿絵を参考に描かれたとされています。
フルートを吹く女性や、音色に惹きつけられた蛇たちは、月明かりに照らされた逆光によって真っ黒いシルエットで描かれており、女性の目だけが白く、正面を見据えることで怪しげな印象を持たせています。オルセー美術館では「不穏なエデンの庭にある黒いイブ」と主題にするなど、ジャングルのエキゾチックな雰囲気と相まって鑑賞者に多くの感情を抱かせる傑作です。
まとめ:オルセー美術館の主要作品30選|エピソード付きで完全網羅!
本日はオルセー美術館の主要作品30選として、印象派を代表する画家ごとに各作品を紹介しましたが、オルセー美術館は正しく「印象派の絵画の宝庫」です!
実は、参考画像含めて30選以上を紹介しました!笑
一度はどこかしらで見覚えのある作品も多かったかと思いますが、有名な絵画を厳選して紹介しました。印象派の絵画は日本でも人気ジャンルであり、1つでも気になる作品が見つかったのではないでしょうか。
また本記事ではオルセー美術館に常設されている絵画を紹介してますが、時期によっては貸し出しされている場合もあるので、今後訪れる方は事前にホームページで確認することを忘れずに!
印象派の巨匠に関するエピソードを交えて紹介した為、記事のボリュームがかなり多くなりましたが、これからパリ旅行を計画する予定の方、印象派の絵画について興味のある方の参考になったら幸いです。
オルセー美術館の主要作品を1つ残らず鑑賞したい!!
本記事では厳選して紹介してますが、そのように考える方は、オルセー美術館のギフトショップを訪れると良いかもです!
ギフトショップでは人気作品のポストカードなど色々と販売されているので参考になるかと思います!!
最後に!
記事中にもいくつか紹介してますが、西洋美術や絵画に興味のある方はこちらもお勧めなので、是非読んでみてください!
新しい発見があるかもです!!
というわけで本日は以上です。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
では!
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